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教員リレーエッセイ第12回『EnglishとEnglishes』


「English」から「Englishes」の時代へ
 皆さんは、中学校や高校で英語の「単数形」と「複数形」に苦労したことがあるのではないでしょうか。日本語では「本」は1冊でも10冊でも「本」のままですが、英語では book と books をきちんと使い分けなければなりません。
 では、「英語」を意味する English にも複数形があることをご存じでしょうか。Englishes――学校ではまず目にすることのないこの単語は、「実は英語は一つではない」という現代の英語の特徴を象徴するキーワードです。
 ここで、本学キャンパス周辺の環境に目を向けてみましょう。近年、インバウンド観光客の増加によって、JR長野駅ビル「MIDORI」の名産品フロアを歩くと、日本語よりも英語のほうが多く聞こえるシーズンや時間帯さえあります。お土産売り場では、さまざまな国から訪れた観光客が店員と英語で自然にコミュニケーションを取っています。耳を澄ませてみると、Netflixのドラマや洋楽で耳にするような英語もあれば、少し聞き慣れないアクセントやリズムの英語もあります。それでも、彼らはお互いにごく自然に意思疎通をしています。
 では、彼らは全員、アメリカ人やイギリス人のような「英語ネイティブ」なのでしょうか?そもそも、「英語ネイティブ」とはどのような人たちを指すのでしょうか?
 世界の人口は現在、およそ83億人です。そのうち、英語を母語とする人は約4億人とされています。一方で、英語を第二言語や外国語として使う人は12億人以上いると推定されています。つまり、英語を使う人のおよそ4人に3人は、英語を母語としない人ということになります。世界では、「英語ネイティブ同士」よりも、「非ネイティブ同士」が英語でコミュニケーションを取る場面のほうが、むしろ一般的になっているのです。
 この事実を知ると、一つの素朴な疑問が生まれます。世界で使われている「標準的な英語」とは、一体どこの英語なのでしょうか?皆さんは、このようなことを考えたことがあるでしょうか。
 英語に関するこの問いに真正面から向き合ったのが、インド出身の言語学者 Braj B. Kachru(1932-2016) です。1980年代、Kachruは「世界中で使われている英語を、アメリカ英語やイギリス英語だけで説明することはできないのではないか」と考えました。そして、世界に広がった英語を World Englishes(日本語では「世界英語」と訳されることもありますが、一般にはそのまま「ワールド・イングリッシィーズ」と呼ばれます)という概念で捉え、Three Circles Model(3つの円モデル) を提案しました。このモデルでは、英語を使用する国や地域を次の三つに分類しています。


出典:Kachru, B. B. (1985, 1990) の Three Circles Model をもとに筆者作成

• Inner Circle:英・米・豪など、英語を母語とする国・地域
• Outer Circle:インド、シンガポール、ナイジェリアなど、植民地時代の歴史などを背景に、英語が公用語や第二言語(English as a Second Language:ESL)として定着している国・地域
• Expanding Circle:日本、中国、韓国など、英語を外国語として学ぶ国・地域
 このモデルが当時画期的だったのは、「英語には唯一の中心がある」という従来の発想を大きく変えたことです。たとえば、インド英語には英語辞書にはない、独自の発音や表現があります。シンガポール英語には中国語やマレー語の直接の影響が見られます。ナイジェリア英語では、異民族同士の交流から生成された独特の言い回しがあります。World Englishes の考え方では、こうした英語は「間違った英語」ではありません。それぞれの社会の歴史や文化の中で発達した、英語の正当な変種(varieties of English) と考えます。つまり、「英語(English)」は一つではありません。世界各地には、それぞれの歴史や文化を映し出した、多様な「英語たち= Englishes」 が存在しているのです。

English as a Lingua Franca ――「伝わる英語」という考え方
 1990年代以降、もう一つ注目されるようになったのが English as a Lingua Franca(ELF) という考え方です。Lingua franca とは、「異なる母語をもつ人々が意思疎通のために用いる共通語」という意味です。ELF研究では、インドネシア人とフィリピン人、韓国人とタイ人、日本人と中国人など、非ネイティブ話者同士の英語でのコミュニケーションを主な研究対象としています。この分野を代表する研究者が Jennifer Jenkinsです。彼女は多くの国際的な英語の会話を分析し、「国際コミュニケーションでは、ネイティブスピーカーとまったく同じ発音を目指す必要はない」と主張しました。そして、意味を正確に伝えるために特に重要な発音だけをまとめた Lingua Franca Core を提案しました。その後、多くの研究者によってELF研究は発展し、現在では世界各地で、英語を母語としない人々同士のコミュニケーションが発音面以外でも活発に研究されています。これらの研究成果は、学校で正しい英語を学ばなくてもよい、ということでは必ずしもありません。発音・語彙・文法を学ぶことは、外国語でコミュニケーションを行うための大切な土台です。ELF研究が示しているのは、「ネイティブらしさ」そのものよりも、「相手に正確に伝わり、お互いに理解できること」が国際コミュニケーションではより重要になる場面が多いということです。

本学で学ぶ英語は、「世界とつながる英語」
 皆さんが大学を卒業し、初めて海外の企業や国際的な職場で英語を使う場面を想像してみてください。目の前にいる相手は、アメリカ人でもイギリス人ではないかもしれません。インド、フィリピン、ナイジェリア、中国、韓国──そんな国々の人々と英語で意見を交わし、一緒に仕事を進めることのほうが、むしろ現代では自然な光景です。実際、英語を使う相手は Inner Circle の英語母語話者よりも、Outer Circle や Expanding Circle の非母語話者である可能性のほうが確率的にはるかに高いと考えられます。
 本学では、そのような現実の国際社会も見据えた留学プログラムを用意しています。派遣交換留学は現在、イタリア、フィンランド、リトアニア、台湾、韓国など、非英語圏を中心に展開されています。現地では、それぞれの言語や文化を学びながら、学生たちは、英語を母語としない学生同士が英語を共通語(Lingua Franca)として用いる環境の中で、国境を越えたコミュニケーションを実践しています。また、全学生が参加する海外短期研修では、アメリカ、イギリス、ニュージーランドといった英語圏だけでなく、フィリピン、フィンランド、スウェーデンなど、非英語圏で英語を学ぶプログラムも用意されています。
「English」から「Englishes」へ。English に -es が付くだけ。たった二文字の違いですが、その二文字は、英語という言語そのものの見方を大きく変えます。英語は、一つの国だけのものではありません。また、単なるツールでもありません(言語そのものが持つ深みに関しては、中島先生の言語学に関する第9回のエッセイも是非読んでみてください)。
 英語は、世界中の人々が、それぞれの文化や歴史を背景に育み、使い続けている「世界のことば」です。皆さんが本学で学ぶ英語も、その多様な世界へつながる入り口です。
 「English」ではなく、「Englishes」。 この小さな複数形との出会いが、皆さんの英語観を大きく広げ、世界を見る新しい視点への第一歩となることを願っています。

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【筆者】
南部匡彦 准教授

慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科 修士課程および神田外語大学大学院 言語科学研究科 修士課程修了 修士(MA TESOL、政策・メディア学)
専門は英語教育学
四国大学 全学共通教育センター准教授 などを経て現職



【学んだ専門用語】
World Englishes(世界の英語)、Lingua Franca(リンガフランカ)

【高校生・大学生のためのブックガイド】
① 寺澤 盾『世界の英語-5大陸に広がる多様なEnglishes』(中公新書,2026年)
本エッセイでご紹介したLingua Francaの概念に沿って英語の多様性が学べる手軽で最新の図書です。
② 大石晴美(編)『World Englishes 入門―グローバルな英語世界への招待』(昭和堂、2023年)
本エッセイでご紹介したWorld Englishes研究の基本を多様なイラストを交えて体系的に学べる入門書です。
③ 唐澤一友『世界の英語ができるまで』(亜紀書房,2016年)
もともとイングランドの片田舎の言語だった英語がどのように世界へ広がり、さまざまな地域で独自の英語が生まれたのかを、歴史や文化とともに分かりやすく解説した一冊です。
④ 東京外国語大学言語モジュール
https://www.coelang.tufs.ac.jp/mt/en/?utm_source=chatgpt.com
東京外国語大学と神田外語大学の共同研究による、現代英語の多様性を学習することができるウェブ教材です。挨拶・買い物・友人同士の会話など、日常のシーンを通じてインド英語、フィリピン英語、マレーシア英語の特徴を比較しながら体験することができます。